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大人こそ、AIに萎縮していないか——オンラインセミナーで出た問い

2026/8/17

大人こそ、AIに萎縮していないか——オンラインセミナーで出た問い

大人こそ、AIに萎縮していないか——オンラインセミナーで出た問い

昨夜、オンラインでセミナーをさせていただきました。

前半は私から、生成AIを使った授業実践の報告を。後半は参加者のみなさんとの協議と、事前にいただいた質問への回答、そして主催の金大竜先生との対話。2時間ほどの会でした。

先日の大阪での実践報告については別の記事に書きましたので、今回は昨夜ならではだった部分——参加者のみなさんから出た質問と、そこから見えてきたことを記録しておきたいと思います。

会の終盤で、いちばん刺さった指摘

先に、この日いちばん残った言葉から書きます。

質疑がひと通り終わったあと、金先生がこうおっしゃいました。

今日の質問で僕が気になったのは、子ども側への質問がめちゃくちゃ多かったことなんです。

僕たち大人自身が、AIとの向き合い方がはっきりしていない時に、いかに子どもに使わせるかばかりを質問していることに、ちょっと違和感を感じるよね。

AIをいかに与えるかの前に、僕たちがAIとどう付き合うのかを、大人同士で考えないと。

耳が痛い、と思いました。私自身、実践報告をする立場として「どう使わせるか」の話をたっぷりしてきたからです。

そして金先生は、こう続けました。

僕らは自分で気づいていないかもわからないけど、毎日めちゃくちゃ萎縮が起きていると思うんですよ。

何に対しての萎縮かというと、自分より賢いやつへの萎縮。つまりAIなんですけど。自分より賢いやつがいつも横にいて、すごい考えを出してくれることに慣れすぎたら、自分の考えがいかにちっぽけかみたいなことを、毎日萎縮させられ続けていると思うんですよね。

でもこれは絶対に、考えることへの放棄になる。

そのうえで、決定的な一言。

尾形君が授業でめっちゃ大事にしているのは、子どもは自分で考えてからAIに聞く、という順番を踏ませていること。でも大人は、楽したいからいきなり聞いてるもんね。

——ぐうの音も出ませんでした。

私は教室で「自分の考えを持ってから、AIに聞く」と何度も言っています。でも、自分の仕事ではどうか。締め切りに追われて、考える前に投げていないか。

子どもに課している順番を、自分は守れているか。

これは、AI活用のあらゆる議論の手前にある問いだと思いました。


いただいた質問と、私なりの回答

そのうえで、というのも変ですが、いただいた質問はどれも切実で具体的でした。同じことで迷っている方は多いと思うので、当日お答えした内容を残しておきます。

Q. 仮想空間でのやり取りの先に、対人関係や繋がる力は生まれますか

生まれてくるだろう、というのが私の考えです。

まず大事なのは「安全につながれた経験」だと思っています。教室のしんどさは人によってさまざまで、視線がつらい子もいれば、音がつらい子もいる。うちのクラスにも学校に来ることが難しい子がいますが、同じ物理空間にいなければならない、というわけではないと思っています。

ただし、そこで完結させない設計は必要です。ポイントは3つ。

  • いつか現実で会う機会を、どこかに設計しておくこと
  • 大人が同席して、ファシリテートすること
  • そこで何をするのか、目的をはっきりさせること

なお、文部科学省は仮想空間を活用した学びを学習機会の確保の一形態として位置づけており、出席扱いの判断は校長の裁量とされています。先行事例を参照しながら進められる領域です。

Q. 4歳の子どもに、AIをどう触れさせればよいですか

まずは、大人が使ってみせることだと思います。

多くのサービスに年齢制限がありますが、それ以前の問題として、AIは事実とそうでないものの区別がつかない答えを、堂々と返してくることがあります。

ここで考えたいのは、私たちとAIの出会い方と、いまの子どもたちの出会い方は、まったく違うということです。

私は42歳です。いろいろ思考して、考えて、失敗してきた上でAIに出会っている。でも、生まれた瞬間からAIがある子どもたちは、そうではありません。そこは加味しないといけないと思うのです。

具体的には、お子さんが何か疑問を口にしたときに「じゃあ、AIにも聞いてみようか」と親御さんが操作して、画面を読み上げる。あるいは、図鑑のページを見せながら「4歳の子に分かる言葉に直して」とAIに頼んで、それを一緒に読む。

知識を得るためというより、AIと向き合う態度を渡すイメージです。

そのうえで、匂いや手触りといった体験、人と関わること、本を読むこと。この価値は圧倒的に高い。そこは譲らなくていいと思います。

Q. AIに対して、親としてどうポジションを取ればいいですか

「最後に決める人」だと思っています。

情報量でも、整理の速さでも、いずれ大人はAIに勝てません。そこは降りていい。

大切なのは、2人で使う道具にすることです。「AIはこう言っているけど、あなたはどう思う?」と、まず子どもに聞く。この答えを採用するか、別の案でいくかを、一緒に考える。

もう一つ。AIは基本的に肯定してきます。「90点だと言われました」と子どもが言ってきたら、「本当に90点なのかな?」と投げてみる。全部いいねと言ってくるけど、ちょっと都合が良すぎないかな、と。

Q. 小学1年生にAIを使わせていいですか

段階を踏むのがいいと思っています。私の現時点での考えは、こうです。

  • 低学年(1〜2年):教師が使ってみせる
  • 中学年:教師がカスタマイズしたAIを使わせる
  • 高学年:自分でプロンプトをカスタマイズしてみる

ある方から聞いた喩えが分かりやすかったので紹介します。教育特化型のAIは、自転車の補助輪だと思ってください、と。補助輪付きで使い方に慣れて、それから汎用的なAIへ移行していく。

そしてどの段階でも、「AIは後」という順番は変えません。まず自分で考えて、友達と話し合って、最後にAIにも聞いてみる。

Q. デジタルとアナログの使い分けは

私の場合は、こう分けています。

AI・デジタルが向く場面
発表前のリハーサル、叩き台づくり、話し合いのメモ、情報の整理・分析

アナログが向く場面
意見が割れる話し合い、板書で思考の過程を見せる場面、学習のまとめを書く場面

情報の整理・分析はAIに任せてもいい。でも、紡ぐ段階には人が入ってくると思っています。

ちなみに教科書は、紙とデジタルのどちらで音読してもいいと、子どもたちに選ばせています。

Q. 振り返りの添削でAIを使うことを「面倒だ」と感じる児童には

無理に使わせなくていい、というのが私の答えです。

うちのクラスでも、作文をAIと一緒に書きたい子と、自分の力だけで書きたい子に分かれます。書くのが好きな子は、絶対に自分でやりたがるんですね。

自分が本当に好きなものは、AIに頼らない。

私たち大人もそうではないでしょうか。こだわりのないことは頼ってしまうけれど、大事にしているものは自分でやりたい。だとすれば「面倒だ」という反応は、むしろその子の「好き」の在り処を教えてくれているのかもしれません。

そのうえで、「AIはこんなふうにアドバイスをくれるけど、どうだろう」と全体の前で見せてみること、「どのあたりが面倒なの?」と個別に聞いてみることは、やってみる価値があると思います。

Q. 種類が多すぎて選べません。大人は何から始めればいいですか

普段お使いのサービスと同じ系列のものから入るのが、いちばん抵抗が少ないと思います。カスタマイズ機能も使えるようになってきました。

もう少し複雑な仕事を任せたいなら、いわゆるエージェント型のAIを一度体験してみると、感覚が変わると思います。資料を読み込んで文章を作り、保存まで一気にやってくれる。「ここまで来たのか」と実感できます。

Q. AIに聞くことに抵抗があります。考える力を失いたくない

その感覚は、大事にしていいと思います。

答えはやはり順番です。自分の考えを持ってから聞く。そして、AIの答えと自分の考えを比べる。そこには必ずズレがあるので、そのズレについてまた考える。

正直に言うと、私はAIとやり取りするとき、かなり頭を使っています。楽をするために使っているというより、考えるために使っている感覚に近いです。


参加者の声から見えた、格差

質疑と並行して、参加者のみなさんとグループで話す時間を取りました。そこで一番強く共有されたのが、格差でした。

  • 端末は配布されているが、授業ではほとんど使えていない
  • 生成AIには制限がかかっていて、実践がしづらい
  • 一方で、校長判断でどんどん使わせている自治体もある

同じ日本の公教育で、これだけ差がある。しかも、これから開いていく一方です。

私は3年前に公教育を離れているので、各自治体の最新の状況は分かりません。でも、こんなにも違うのかというのが、昨夜の率直な実感でした。

金先生は、こうおっしゃっていました。

生まれた時にAIがある子どもたちが、これから学校に入ってくる。使い方は、学校で教えるしかないと思うんです。

家庭格差もある。地域格差もある。学校格差もある。だからこそ、教える場が必要になる。


「AIは、教員にとっての指導書」

もう一つ、金先生の言葉で腑に落ちたものがあります。

AIを難しく考えるから、どうしたらいいか迷ってしまう。だったら、こう考えたらいい、と。

AIは、教員にとっての指導書だと思ってるんですよ。赤本と。そう考えて、シンプルに捉えてみたらいい。

授業のアイディアが全くない状態で、ゼロから考えろというのは苦しい。だから指導書を見る。それと同じことだ、と。

ただし、そのあとが重要でした。

事務作業を短縮化して、余った時間でAIとずっと哲学できるわけじゃない。その使い方には、すごい価値がある。

でも人間は、絶対に怠惰な方向に流れていく。AIが出してきたものをそのまま使ってしまう仕組みになったとき、授業が下手な人がこれから山ほど増えるだろうなと思う。

余暇が生まれたあと、教師がどう動くか。

ここで差がつく、という話でした。生まれた時間を、さらに授業を深めるために使うのか。それとも、そのまま流されるのか。

私はいま、教材づくりにAIをかなり使っています。でも、AIとのやり取りには膨大な時間をかけています。「違うだろう」「ここはこうじゃないか」というツッコミの部分が、私の20年です。そこは手放したくない。


最後にいただいた、いちばん難しい問い

会の終盤、ある参加者の方から、こんな問いが出ました。

自分は「心の豊かさ=心のたくましさ」だと教えられて育ってきた。娘さんは負けず嫌いで、鉄棒がうまくできなかった翌日、自分から公園に行って泣きながら練習するような子だという。

昔の自分なら「泣かずにやりなさい」と言っていた。でも、AIの時代を生きる娘に、その「たくましさ」は本当に必要なのだろうか。頑張らせるポイントを、変えたほうがいいのだろうか——。

正直に言えば、私はうまく答えられませんでした。

金先生は、こうおっしゃいました。

正解を探して「どれが正解ですか」と言っていたら、子育ても学校教育も、戸惑っているうちに何もできないままになってしまう。

だから、親も教員も、覚悟を持たなきゃいけない時代になっちゃいましたよね。

そして、こう続けられました。

僕は、どの時代が来ても軽やかに生きていくにはどうしたらいいか。それだけを考えて、娘の教育を見ています。

愛嬌とか、調整力とか、思いやりとか、腹の座っている度合いとか。結局、自分が持っているものを見せることしかできないんですよね。

答えを渡すのではなく、生き方を見せる。

親も教師も、結局はそこに行き着くのだと思いました。


おわりに

会の最後に、私はこんな話をしました。

正直に言うと、私自身、AIがない世界線に行けるならそちらに行きたい、と思ってしまうような人間です。

でも、もう止まりません。だったら、どうやったら子どもたちのために幸せな使い方ができるのか、幸せな教育ができるのか。それを、みなさんと一緒に考えていきたい。

質問にどう答えるかというより、私が皆さんに質問したいくらいなんです。

昨夜いただいた質問は、どれも私自身が迷っていることばかりでした。答えを持っているから登壇しているのではなくて、一緒に迷える場が欲しくて出ているのだと思います。

そして、金先生の「大人こそ萎縮していないか」という問い。

これは持ち帰って、しばらく自分に問い続けようと思います。子どもに「まず自分で考えなさい」と言う前に、自分がそうしているか。締め切りに追われて、考える手前でAIに投げていないか。

順番を守るのは、実は大人のほうが難しい。

休みの日に、自分の命の時間を削って話を聞きに来てくださったみなさま、そしてお声がけくださった金先生、本当にありがとうございました。


現在、生成AIを活用した授業実践についての本を明治図書出版から、AI時代だからこそ大切にしたい学校での教育実践についての本を東洋館出版社から、それぞれ執筆させていただいています。今回書ききれなかった実践の中身は、そちらでお伝えできればと思っています。

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