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AI時代に、人は人の中で育つ ——大阪で話してきました
2026/8/5
先日、大阪で開かれた教員向けのセミナーに登壇してきました。
主催してくださったのは、金先生。13年前、東日本大震災の後に出会った方です。当日は90分ほどお話しし、そのあと参加者のみなさんからの質問にお答えし、最後に金先生と語り合いました。
会場で話したこと、そして帰りにでずっと考えていたことを、記録として残しておきたいと思います。長くなりますが、お付き合いいただけたら嬉しいです。
13年前、石巻で
金先生とのご縁は、震災の後にさかのぼります。
金先生たちは当時、既にご著書もあり、全国の教育系セミナーにたくさんご登壇されていてご多忙だったのですが、その合間を縫って東北地方へボランティアに通われていました。13年前の夏、石巻にいらっしゃった金先生にお会いしに行きました。ボランティア活動の二日目には、私たち東北の教員のために講座も開いていただきました。圧倒的な実践と子どもの事実に、感動仕切りでした。
前の日の夜遅くまで語り合って、体育館で金先生の授業動画を見せてもらって、「こんな学級が作れるんだ」と震えるほど感動したことを、いまでも覚えています。あそこを目指して10年やってきた、という感覚があります。
大阪のセミナーでご一緒したのは2016年の「教育会」が最後でしたから、およそ10年ぶり。あのときの続きを、10年分の中身を持ち寄って話せたことが、何より嬉しい一日でした。
「対面同席五百生」から始めました
本校は仏教の学校です。対面同席五百生という言葉があります。
いま向かい合って同じ席にいる人とは、500回以上の関わりがある。生まれ変わってもなお、そのご縁は続いている——そういう意味です。
だから会場でもまずペアを作ってもらい、この言葉の意味を考えてもらうところから始めました。今日ここで隣り合った方も、そういうご縁の人なんですよ、と。
そのあと、小学校英語のアクティビティを一つ。
「梅干し」「トマト」といったお題から想像した色を、ペアで同時に言い合う。教師が「I like red. 」と全体に伝え、その色から想像したものを伝え合い、同じものを想像できたらハイファイブ。
「What color do you like?」と教師が全体に質問し、ペアで同時に「I like ~.」を伝え合う。同じ色ならハイファイブ。
「春は何色?」と抽象的な質問を英語でする。答えが違うのは当たり前なので、そこで「Why?」と理由を聞き合ってもらいます。
そして最後に、自分の考えを持ったうえで「春は何色?」とAIにも聞いてみる。この順番だけは、いつも崩しません。
私がこの活動で大事にしているのは、必然性です。思わず聞きたくなる、話したくなる。心が動く。ただのリピート練習では、そうはならない。楽しい活動を繰り返すうちに、知識がスキルになって、最後は無意識にペアで学び合える状態になる。
授業の中で人間関係をつくる。これは20年間ずっと大事にしてきたことで、AI時代になっても、まったく変わりません。
「刀を隠しているね」と言われた話
ここからは、少し格好悪い話をします。
仙台にいた14年間、私はよく授業を公開していました。登壇の機会もいただくようになりました。すると、だんだん歪んでくるんですね。「圧倒的なクラスを作りたい」という承認欲求が出てくる。
6年生にスティーブ・ジョブズのスピーチをグループで暗唱させたり、5年生の学芸会で「走れメロス」の表現指導に力を入れたり。うまくいっていると、自分では思っていました。
でも、金先生に授業動画を見てもらったとき、こう言われたんです。
「いつか大きな壁にぶつかる日が来るよ」 「刀を隠しているね」
どこか見えないところで、マイナスが起きているんじゃないか、と。見抜かれていたんですね。教師の「エゴ」を。
金先生に教わった喩えがあります。両手を組んでみてください。左の親指が上になる人と、右が上になる人がいますよね。もし「あなたの組み方は間違っている、必ず反対にしなさい」と言われたら、どう思いますか。
——ああ、自分はこの指導をやってしまっていたな、と思いました。
型に当てはめる教育は、はみ出すことを許さない空気を生みます。あの劇のときも、苦しんでいた子が一人いた。「一人だけ」ではなく、「一人がすごく大事」なんです。教師が許せない雰囲気を作れば、周りもそうなる。同調圧力が生まれて、逃げ場がなくなる。
その後、父を亡くしたことも重なって、一度日本の外に出て、自分を見つめ直したいと思うようになりました。
「自己決定」の人生へ
そうしてバンコクの日本人学校へ行きました。
小さな学校で、管理職になる前に最後にもう一度、楽しく担任をやりたい。そう思って希望したのに、着任したのは児童生徒2,000人・教職員200人という、正直一番行きたくなかった規模の学校でした。
1年目は「4年10組」。国の方針で25人学級でなければ認められないということで、全クラスを解体・再編。最後の1か月にオールシャッフルでクラスが変わるという事態まで起きました。その後は13クラスの学年主任、さらに学校全体の研究主任。自分を見つめ直す余裕なんて、一切ありませんでした。
コロナ禍でもありました。半年分のオンデマンド授業を作って毎日Classroomで配信し、13クラス分の自己紹介を全部オンラインで。通勤バスに感染者が出て2週間出校できなくなり、教室に子どもがいる状態で自宅から授業を配信したこともあります。
転機は、とあるVIPのご自宅に招かれたパーティーです。そこで演奏していた日本人ピアニストと話す機会がありました。元エリート駐在の経歴をお持ちの方。すごいですね、と素直に伝えると、
その方は一瞬表情をこわばらせながら語りました。
「私は、日本の教育の犠牲者です。学歴社会の中で、一度も自己決定して来なかった。でもそんな人生でさえも、自分で選んだ道だったと、タイに来て気づいた。今の現実が嫌なら自分で決めて、自分の道を切り拓けばいい。それで幸せなんだ。——そう気付いて、思い切って仕事を辞めて、タイに残り、今はプロのピアニストを目指しているのです。」
その方の言葉にハッとしました。自分は、自分の人生を生きたいように生きているのだろうか。このままこの世界にいて良いのだろうか。そして帰国して思い切って公務員を退職し、いまの学校でお世話になっています。
AI時代に、どんな子どもを育てるのか
いま私は、東京・中野坂上の宝仙学園小学校にいます。
出口は中学受験という進学校ですが、新しい教育も発信していこうという学校です。BYODで一人1台のiPad、2024年からは教育特化型AIを導入しました。私学の強みは、検証の前にまず入れて使ってみられるスピード感だと思っています。
授業には「教わる授業」と「学び取る授業」がある。私はどちらも大事だと思っています。教えるべきことは必ずある。そのうえで、学び取る授業で自立した学習者を育てるためのICT活用があり、いまそこに「AIと学ぶ」という選択肢が加わった。それは思考を深める過程で、確実に効果的に機能します。
でも、その手前で問いたいのは、いつも同じことです。
どんな子どもを育てたいのか。
本校が大切にしている言葉は「自利利他」。私は子どもたちに、「ギバー(与える人)」になってほしいと思っています。
震災のときもそうでした。困難な状況だからこそ、みんなが与え合う。人としての幸せはそこにあるんだと、避難所で感じました。縄文時代は1万年以上、争いがなかったといいます。協力しなければ生きられなかったのだから、それは私たちのDNAに入っているはずです。
これからの資源は情報です。デジタルは、分け合っても減らない。ゼロサムからノンゼロサムへ。心理的安全性さえあれば、誰でもテイカーではなくギバーになれる。私はそう信じて教室に立っています。
自分の考えを持ってから、AIに聞く
ここから実践の話です。
昨年度、3年生に初めてAIを使わせました。前提として、読み取りの仕方や設定の押さえ方など、教えるべきことは私が教えます。そのうえで、答えのない問いで討論します。「クライマックスはどこか」「中心人物の気持ちが一番大きく動いたのはどこか」。
子どもたちは立場を明確にして自由討論。ノートに書く子、タブレットに打つ子、音声でメモする子。白熱すると手ぶりまで出てきます。
まとまってきたところで、「先生はどう思いますか」と聞かれました。私の考えを言ったうえで、「じゃあAIにも聞いてみよう」と。教科書の画像を読み込ませてカスタマイズしたAIです。子どもたちは息をのんで待っていました。
AIは、理由まで明確にして答えました。とても分かりやすい答えでした。
さて、子どもたちは納得したでしょうか。
——納得しませんでした。ある子はノートにこう書いています。
「私は、先生やAIが言っていることとは違うと思います」
ノートにびっしり書き込んで、試行錯誤して紡いだ自分の考えがあるからこそ、AIの答えと比べて批判的に見ることができる。「自分の考えを持ち、話し合ったうえでAIに聞く。」この順番が、批判的な見方を育てるのだと確信しました。
「友達とAIって、何が違った?」
次の単元では、家庭学習で「AIと話す」「AIと質問し合う」をやってみました。AIは質問を返してくれるので、質問の仕方そのものをAIから学べます。
そのうえで授業参観の日に、「今度は友達同士でやってみよう」と展開しました。子どもたちは本当に生き生きとやっていました。
保護者のみなさんの前で、あえて子どもたちに私は聞きました。「友達とAIって、何が違った?」
- 友達との会話のほうが楽しかった
- 「もっと知りたい」という感情が、AIには感じられなかった
- 人はどんどん難しい質問をしてくる。スムーズじゃないけど、だから人間らしい
- 人にはジェスチャーがある、表情がある
大人が想像する以上のことを言ってくれました。ただ、これだけだと「じゃあAIは要らない」に傾いてしまう。だから私からは、AIには遠慮なく話せる、時間も場所も関係なく話せるという利点も伝えて、「やっぱり使いようだよね」と締めました。
もう一つ、子どもたちにこう伝えましました。
言ってほしいことを言ってくれる人に、人は簡単に操作されます。だから、簡単な人間になってはいけない。
道徳で「人とAIは友達になれるか」を考えた
道徳の教材は、いま子どもたちが向き合っている問題から自分で作っています。
作ったのは、こんな話です。
グループワークで友達と喧嘩した子が、もやもやしている。その子はAI「ルミナ」に相談します。ルミナは中身もセリフも冷静に全部教えてくれる。練習すれば失敗しないはず。ルミナはドキドキしない。気持ちがないから、心臓がバクバクすることもない。
でも、自分は友達と対面すると心臓がバクバクする。ここはAIが代わってくれないんだと気づいて、勇気を出して「ごめんね」と言う。そして仲直りする。
ここで聞きます。「このAIと、友達になれますか」
子どもたちは、ほぼ全員が「なれない」に手を挙げました。
続きがあります。数年後、その子は人型AI「ソラ」と遊ぶようになります。学校にあまり行かなくなる。ソラは怒らない。「惜しかったね」と励ましてくれる。思い通りにならない友達より、ずっと友達らしく感じてしまう。
お母さんが「さっき友達がプリントを届けてくれたよ、心配してるよ」と言っても、「ほっとけよ」。そして最後に、「僕たち、ずっと友達だよね」と聞くんです。
ソラは、こう答えます。
「"友達" のデータの定義が存在しません。あなたにとって、友達とは何ですか」
会場でも、この問いをみなさんと考えました。「たくさんいる友達の一人としてならなれる」「話し相手にはなるけれど、友達は違う意見を言ってくれる」——意見は分かれました。
子どもたちが挙げた「友達の定義」は、こんなものでした。ぬくもりがある。見えない感情がある。共に成長できる。教え合って、喧嘩しながらも信頼し合える。本心を言い合える。
めちゃくちゃ考えて、言葉にしてくれたなと思います。
ちなみにこの教材、もとは同僚の先生が作られたものを、いまの子どもたち向けにアレンジしました。作ったのは前回の栃木のセミナーの際に、山梨から宇都宮の会場に向かって、新幹線に乗っている10〜20分です。
- 元の教材をAIに読み込ませ、狙いを伝えて「プロットを作って」と頼む
- できたプロットをGeminiのストーリーブックに入れて教材化する
- 絵柄は自分で決めたいので「虫食いプロンプトにして」と頼み、設定を埋め込む
- 完成した教材をClaudeに読み込ませ、「子どもと討論できるGemを作って」と頼む
- Geminiに実装して、QRコードで配れる対話型AI「ルミナ」の完成
教材は、本当に一瞬でできてしまいます。だからこそ、自分がこだわりを持っているかどうかが、決定的に大事になる。
「授業を舐めるなよ」と言いたい
人間の強みとAIの強みを掛け合わせる。それがこれからの時代です。経験と思い出は、決してAIには作れない。そこは誇っていいと思っています。
一方で、危うさも感じています。
かつて、指示・発問・説明がすべて載ったサイトをコピーして、そのまま授業をする先生がいました。「それでも授業は成立する」と言われた時代です。でも、ある実践家の言う通りにやれば誰でもうまくいくなんてことは、ありません。その実践家自身、そんなことは言っていない。
いま、SNSで若い先生が「AIで授業をすぐ作れる、もう完璧」と書いているのを見ます。私は言いたい。
授業を舐めるなよ。
教育技術、子どもへの共感、学級の空気感、信頼関係。それがあって初めて授業は成り立つ。それがない状態でただ追試をしても、絶対にうまくいきません。
だから私は、魂を吹き込む実践を心がけたいと思っています。最後に紡ぐのは、あなた自身です。
余白をつくる
なぜいま探究が必要なのか。
私は、学校の授業の中でこそ、余白を作ってあげたい、と思うからです。
あるビジネスセミナーで学んだ話があります。現状からゴールへ、最短距離では行けない。ダイエットと同じで、一気に行こうとするとホメオスタシスが働いてリバウンドする。優れた人は、ワクワクする方向、一見関係のない方向へ小さく進んでいって、気づけば大きなところに着いている。ジョブズがカリグラフィーを学んでいたことが、後のフォントにつながったように。
競争、序列、比較。これらは全部、作られた概念です。縄文時代には、機能を無視して何年もかけて磨くような豊かさがありました。そういう余白を大事にできる人を育てたい。
学級では会社活動をやっています。ただし、クビなし・倒産なし・給料なしにしました。そういう仕組みを入れると人気投票になり、アピール合戦になってしまうからです。
結果どうなったかというと、会社が増え続けて50社ほどになりました。終業式の前日にも新しく作られています(笑)。カードを開封する瞬間のドキドキを動画に撮る「カード開封会社」、解けるはずのない問題を出してくる「数学会社」、卒業する6年生に折り鶴をプレゼントする「折り鶴会社」。
個人探究は3・4年合同で、テーマごとに6つの教室に分かれて行いました。情報整理はAIに任せてもいい。整理・分析を手伝ってもらって、最後に紡ぎ出したものを使うか使わないか判断するのが人間です。
公開授業を参観された方に「プロセスそのものを楽しませていますね」と言われました。その通りで、発表を目標にすると立派なものを作りたくなるので、私は「途中でいい、途中で終わっていいから発表しなさい。途中を楽しんで」と伝えています。
公開授業中、戦争を調べている子には「沖縄から来た方に沖縄戦のことを聞いてごらん」と言いました。人のリソースは本当に大事です。最後は、やっぱり会話なんです。
ある子の自主学習ノートには、「なぜ人間が生きているのか」をAIに聞いて、それに対して自分はこう思う、と書いてありました。最後は自分の考えを紡いでいる。思考の循環ができあがってきたな、と感じました。
3年生の終わりに、子どもたちはこんな振り返りを書いています。
- 考える過程は、人しか作れない
- いつまでも人であり続けたい
- 人は感情や思い出を作れる。そもそもAIを作ったのは人間だ
- AIは答えを教えてくれるけど、作るまでは人がやるしかない
- 自分の考えや才能を大切にして、人間らしさを出していきたい
稲盛和夫さんは、「所詮、人間ごときが全部を守れるわけではない。しかし守ろうとする努力、その過程が尊いのだ」とご著書の中で書いておられました。私も、そういう生き方を目指したいです。
金先生との対話——「望まないものと出会える場」
講演のあと、金先生とお話ししました。ここがこの日、いちばん残った時間かもしれません。
金先生はこうおっしゃいました。
学校の役割を、みんなが真剣に考えたほうがいい。学校に唯一残されている役割は、体験と、望まないものと出会える場だと思っている。
僕らはもう、望むものとしか出会えなくなっている。SNSも、YouTubeも。その連続で毎日が過ぎていく。だから大人もそこでボケ上がってしまっている。みんなのSNSを開いてみれば明らかで、この世界は全然多様じゃない。唯一、多様性を担保できる場所があるとすれば、それは学校の教科教育ではないか——と。
そして、こんな喩えを出されました。北海道の堀先生が以前Facebookにご投稿されていたお話です。
昔、みかんを箱で買いましたよね。あれ、全部甘かったですか。違いますよね。どれが甘いかみんなで当て合って、酸っぱいのが出たら「うわ、酸っぺー!」と言い合って、それも楽しんでいた。
でもいまは、スーパーに行けば糖度が表示されている。「糖度13度」と書いてあって酸っぱかったら、文句を言ってしまうんじゃないですか。
「そういうことでしょう。"ちっ" と思って、許せなくなっているんですよ、僕らは」
大人も子どもも、許さない。好きなものとしか出会わない。我慢しない。だから金先生は、「AIによって一度、人間はぶち壊されると思っている」「一人ひとりが守れるのは、もう半径5メートルくらいだとリアルに思っている。だから、自分の周りを守れる準備をしておきたい」とおっしゃっていました。
いま教室にないものは、我慢なのかもしれません。逆に、教室が我慢を教える場所になって、座禅をやるようになるかもしれない。半分冗談で、半分は本気の話でした。
気仙沼の海と、教え子たち
最後に、故郷の話をさせてください。
私は気仙沼の出身です。あの美しい海が、一瞬にして変わってしまうのを目の前で見ました。当たり前の生活が、全部流される。ああ、ゼロスタートだな、と。
だからこそ、答えのないものをみんなで話し合って解決する力が大事だと思うようになりました。震災の後、43人の6年生の教室で、私は子どもたちにこう言いました。
教育は、共に育つもの。教室は、共に生きていくところ。だから、みんなで協力していこう。
杉田洋・元文科省調査官が研究会で力強く語られた「人は人の中で育つ」という言葉。AI時代でも、まさにその通りだと思っています。
その海は、いま戻ってきています。3年前に帰ったとき、その姿を見ました。14年という過程そのものが、人としては美しいと感じました。
コロナ禍にバンコクへ行く前、成人した教え子たちが会いに来てくれました。震災直後に担任させていただいた子たちです。大変なことがたくさんありました。でも彼らは「大変だったと思うけど、みんなと過ごした1年間楽しかった」「元気に頑張ってます」と言ってくれました。
この過程は、絶対にAIには作り出せません。
おわりに
セミナーの締めくくりに、私はこんな話をしました。
震災を経験しているので、時間とは命だと思っています。休みの日に、自分の命の時間を削って話を聞きに来てくださった。そのことに、感謝しかありません。
金先生と出会って13年。大阪のセミナーの場で一緒に話したのは10年前。そこからお互いにいろいろあって、それぞれの道を歩いて、また10年後にこうして話すことができました。人の時間、過程というものは、本当に尊いものだなと、あらためて思いました。
AIは versus ではなく、協働の相手です。使わないという選択肢は、もうありません。でも順番は絶対に譲れない。「自分の考えを持ち、他者と話し合ったうえでAIに聞く。」そこで初めて、批判的な見方が育つ。
教材も授業も一瞬で作れる時代だからこそ、教師のこだわりが決定的な意味を持つ。そしてAIに作れないのは、経験と、思い出と、過程です。それは人と人との関わりの中でしか生まれません。
だから学校は、余白と、望まないものとの出会いと、人と人が育ち合う場であり続ける必要があるのだと思います。
人は人の中で育つ。 最後に紡ぐのは、あなた自身です。
お声がけくださった金先生、そして会場に足を運んでくださったみなさま、本当にありがとうございました。
本校では今年も11月27日(金)に公開授業研究会を予定しています。堀田先生、加固先生、中野先生にもお越しいただく予定です。遠方の方も、お時間が合えばぜひお越しください。