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「どうやったらできるかな」と考える人の教室——大阪で過ごした4日間

2026/8/8

「どうやったらできるかな」と考える人の教室——大阪で過ごした4日間

8月4日の夕方から7日の午前中まで、大阪の金大竜先生のもとを訪ねていました。

久しぶりの再会でした。ご自宅に4日間泊めていただき、ご家族の日常を間近で見せていただきながら、本当に多くのことを学ばせていただきました。

特別な講義を受けたわけではありません。朝の散歩道、車の中、移動の合間。そんな何気ない対話の中に、驚くほど具体的なものが詰まっていました。


一.「今の学校ではできない」で止まる人

二日目の早朝、朝の散歩道を歩きながら、授業の話になりました。

研究校の授業を見に行く。あるいは、他校の先生が自分の学校に来る。そこから何が起こるのか。

金先生は、こう言いました。

「有名国立小学校の授業を見に行っても、あるいは他の先生が私立小学校の君の学校に来ても、『今の公立小学校ではこんなことはできない』という思考になっているんやったら、100パーセント無理やね」

そして、こう続けます。

「でも、『どうやったらできるかな』『まずファーストステップは何かな』と考える人の教室は、いい教室だよね」

僕が驚いたのは、その次の言葉でした。

「結果、そうならなくてもいい。。ならなくても、先生が自分の憧れとか理想に向かって『今日は何しようか』と考えてくれている。それがもう、子どもたちへの愛でしょう」

実現できたかどうかではない。理想に向かって考え続けている、その状態そのものが子どもへの愛だ、と。

歩きながら聞いた言葉でしたが、思わず足が止まりました。

二.「あいつらには無理か」と思ったら、それは疲れている

同じ散歩の中で、もう一つ、深く刺さった言葉があります。

教師をしていると、一生懸命試行錯誤する中で、理想と現実の間で揺れ、どうしても子どもを見限るような思考に入ってしまう瞬間があります。「この子たちには無理か」と思ってしまう。

金先生は、それをこう捉えていました。

「『あいつらには無理か』と思っちゃう。それは、教師自身のしんどい時のサインでしょう。」

叱責でも、諭しでもありませんでした。ただ「疲れているんですよ」と。

だからこそ、金先生は授業に入る前の自分の状態を意識しているそうです。

「授業に入る時も、『この子たちが好きだ』と思ってから入る」

技術の話ではなく、教室に入る直前の自分のコンディションの話。これは明日からでもできることです。

三.やらない理由は、その後を考えるから

散歩の中で、金先生からこんな問いを投げかけられました。

「やらない理由は、その後のことを考えるから。じゃあ、その後のことを考えへん存在って誰?」

少し考えて、僕は答えました。

「……子どもですか」

「そういうことですよ」

考える力があるからこそ、動けなくなる。同じエネルギーを、その後の心配に使ってしまう。

自分の中の何かを、正確に言い当てられた気がしました。

四.「楽しもう欲」より「楽しまされ欲」

車での移動中には、AIの話にもなりました。

金先生はご自身で「AI関係は本当に何も勉強していない」とおっしゃいます。それなのに、指摘は的確でした。

「編み出す能力みたいなものが、今はあんまりない。AIに対してすら、待ち姿勢になっている」

与えられたものを受け取る側に回っている。それはAIの使い方に限った話ではありません。

「楽しもう欲より、楽しまされ欲のほうが強くなってきている気がする」

この言葉を聞いたとき、自分自身を振り返りました。最後に自分から何かを「編み出して」遊んだのは、いつだったか。

そして、教員としての在り方についても、はっきりと言われました。

「先生たちの仕事って特殊で、授業に関しては創作活動をすごくやっているんですよ。でも、授業以外の日常で創作活動をやっているかというと、やってへんよね」

教材づくりにはあれだけ創意工夫を注ぐのに、その力を自分の人生には使っていない。

耳が痛い、というより、痛快でした。

五.日曜日は「何をしてもいい日」

ご家庭の話も、たくさん聞かせていただきました。

金先生のご家庭では、日曜日を小学4年生の娘さんが完全に自由に過ごす日にしているそうです。そしてその日は、親にとっては「観察の日」でもある。

「日曜日に何をするかを観察している。『今日は勉強したいならしていいよ、何をやってもいいよ』と。そこでやっていることが、その子の今のニーズだよね。」

一日中YouTubeを見ている日もある。アニメを通しで見ている日も、一日中料理をしている日もある。

「運動系や勉強系は選ばないんですか」と聞くと、「選ばないですね」と即答でした。ただ、こう続きます。

「かといって、料理をするなら計算もしないといけない。レシピを見て、買い物をして——そういうのは全部自分でやっている」

そして、日曜日に見えた「その子の今」をもとに、月曜から土曜に何を提供するかを考える。

放任ではなく、観察でした。

六.家庭は、いちばん小さな社会

ただし、自由といっても枠がないわけではありません。

「社会というものを教えることはやっているよ。社会のいちばん小さい縮図が家庭だから。いついかなる時も自由なことをやっていいわけがない、ということ。だからお風呂の時間、ご飯の時間は、だいたいこのあたりにしてくれないと成り立たない、という話はする。」

10時から何かを見たいなら、9時半までにはお風呂に入っておかないと回らないよね、というような調整です。

そして、金先生はこう言いました。

「尊重されているから、そんなに自由を貪ろうとはしない」

自由を尊重されている子どもは、かえって過剰に自由を求めない。これは、教室にもそのまま置き換えられる話だと思いました。

もう一つ、印象的だったのが「言わせる」ということです。

「やりたいことも、わがままも言う。わがままは言っていいし、むしろ言った方がいい。ただし、全てが通るわけではない。それを言わずに我慢するというのが、いちばんダメなこと」

七.「パパの言うことを聞いてくれて嬉しい」で終わらせない

この4日間で、いちばん唸ったエピソードがあります。

夏休みのお祭りの話です。

娘さんが「友達と17時に待ち合わせて、子どもだけでお祭りを回りたい」と言ってきた。金先生は「4年生で17時から子どもだけというのは、パパ的には反対」と、理由を添えて伝えたそうです。

結局、「お母さんたちと一緒に回るなら」という条件に落ち着いた。

普通なら、ここで一件落着です。

でも、金先生は翌朝、こう聞いたそうです。「結局どうしたん?」

娘さんは「もう17時からママと一緒に回る」と答えた。そこで、金先生はいったん止めました。

「ちょっと待ってよ、と。パパは、あなたをコントロールしたくて言っているわけじゃないから。あなたの思いは『友達と回りたい』でしょう。お母さんと一緒にいたら、冒険心みたいなものはないんじゃないの、と」

そして、両者の理由を並べて見せます。父が心配する理由は「安心のため」。娘さんが子どもだけで回りたい理由は「自分たちで動く面白さ」。

そのうえで、こう投げかけたそうです。

「『じゃあ、17時から18時半までは子どもだけで回るから、その間ママはここにいて。1時間半自由に回って、私たちはここに戻ってくる』——そういう提案を、なんでしないの? と」

さらに、こうも言うそうです。

「親の言うことを聞いている子がいいわけじゃないよ、というのはちゃんと言う。『パパの言うことを聞いてくれて嬉しいな』——聞いてくれること自体は嬉しいけれど、それであなたの中にモヤモヤが残るなら、こっちも本意じゃないよ。そういうことも言ってあげた方がいい」

一つひとつそう伝えないと、子どもは「親の言うことはやらなきゃいけないんだな」と思ってしまう、と。

従わせるのではなく、交渉して落としどころを見つける経験にする。これを日常の中で、何度も渡している。

八.「左か右か」ではない

もう一つ、教員として深く頷いた話があります。

「保護者の方でも、『左ですか、右ですか』と聞いてくる。『自由にさせるんですか、それとも親がコントロールするんですか』『自主性を重んじるんですか、どっちが子どもは伸びるんですか』と」

これに対する金先生の答えは、明快でした。

「いや、両方に決まってるだろう、と」

そして、教室の話へと続きます。

「僕は教員の時からずっと思っていました。あの頃だと一斉授業と学び合い、どっちですか、という話。どっちを選ぶ、じゃない。両方できるやつが一番強いでしょう」

二択に乗らない。その時その時で判断する。

ハウツーや答えを求められる場面が増えている今だからこそ、「どちらか」ではなく「その時どう判断したか」を語れる教師でありたいと思いました。

九.そして、川に飛び込んだ

二日目の朝、1時間半ほど、1万歩の散歩をしました。

その途中で、金先生がそのまま川に飛び込みました。着ていた服のまま、なんの躊躇もなく。

正直、衝撃でした。そして、僕にはできませんでした。

そして最終日の朝。娘さんと3人で散歩に出かけました。娘さんが、当たり前のように川に飛び込みました。

その姿に背中を押されるようにして——今度は、僕も飛び込みました。

そのまま川に浸かり、耳を水につけて、青空と木々を見上げていました。

冷たくて、気持ちがよくて、なんだか笑ってしまいました。

散歩の終盤、金先生がぽつりとこぼした言葉があります。

「尾形君が思い悩んでいる日も、僕はこうやって生きてるからね」

その言葉が、いちばん残っています。

十.親の背中と、子どもの育ち

4日間ご一緒させていただいて、いちばん心に残ったのは、実はご家族の姿かもしれません。

金先生も奥様も、それぞれ自分らしい働き方を確立されていて、好きなことを仕事にし、毎日を全力で楽しんでいらっしゃいます。

そして小学4年生の娘さんが、本当に素敵なお子さんでした。

のびのびとしていて、それでいて挨拶もきちんとできる。大人ばかりの会合に同席しても物怖じせず、むしろ一緒にいるだけで周りが笑顔になるような魅力があります。何より、ご両親のことを心から大好きで、尊敬しているのが伝わってきました。

親が人生を楽しんで生きている姿を見せること。それがそのまま、子どもの育ちにつながっている。

「日曜日は何をしてもいい日」も、「お祭りの交渉」も、この土台の上にあるのだと感じました。


今日からまた、東京での日常が始まりました。

でも、僕の中には確かに残っています。

「どうやったらできるかな」と考えること。教室に入る前に「この子たちが好きだ」と思うこと。子どものわがままを、まず言わせること。そして、たまには何も考えずに、何かに飛び込んでみること。

金先生、奥様、そして娘さん。4日間、本当にありがとうございました。


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